HISTORY
ジョンソンタウン前史 <7>
朝鮮戦争勃発

ジョンソン基地のゲート。(写真提供:Lincoln Chee 氏)

 1950年(昭和25)6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。7月7日、国連安全保障理事会はソ連欠席下、国連軍を創設、朝鮮への派遣を議決し、総司令官にダグラス・マッカーサーを任命しました。その翌日、マッカーサーは警察予備隊創設と海上保安庁の増員の指令を出しました。


 ジョンソン基地では航空団の移動があり、7月に第35戦闘航空団が横田基地へ移転し、第4爆撃航空団が横田基地から移転して来ました。12月には第45戦闘機航空団F80が横田基地から移されました。ジェットエンジン初の実用機だったT33配備のために滑走路をジェット機用に拡張する工事が、昼夜を問わず行なわれました。


 朝鮮戦争特需で建築資材は高騰していました。この年の10月、ジョンソン基地内の住宅総数は396戸を数えました。そして一年後の基地労働者は約5300人となりました。


 トルーマン大統領は朝鮮戦争が第三次世界大戦化することを恐れ、1951年(昭和26)4月11日、ダグラス・マッカーサーを国連軍総司令官及び連合国最高司令官から罷免しました(4月16日、日本を離れる)。後任にマシュウ・リッジウェイ中将が就きました。

 

 日本の民間によるラジオ放送は1924年(大正13)、実験的に行なわれましたが、1951年(昭和26)9月1日に中部日本放送(現CBC)と新日本放送(現毎日放送)によって行なわれた放送が民間による初めての放送となりました。(続く)

 

 

 

■あいつぐ米軍機墜落事故

朝鮮戦争が始まると、爆撃・戦闘部隊の配置が進みました。その後、基地の返還まで、多くの爆撃機や輸送機などが離発着し、これらの事故も起きました。

 

ジョンソン基地所属米軍機墜落事故

年月日  墜落場所 機体
1950年11月9日  北入曽 B29
1951年1月31日  水野 B29
1955年3月4日  水野 T33
1955年3月4日  基地内 B26
1957年11月7日  下奥富 T33
1958年7月25日  入間川 B57
1959年3月30日  入間川 T33
1960年2月3日  入間川 B57

 

横田基地所属B29 墜落事故
1952 年(昭和27)2月7日夜、横田基地から50kg 爆弾を満載したB29 が金子村寺竹(現入間市)に墜落炎上し、爆発を繰り返した。入間市で発生した一番大きい航空機墜落事故となった。

 



 

 


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