「このまちはどうして『ジョンソンタウン』という名前になったのですか?」というご質問を近頃よくいただくようになりました。実は、「ジョンソンタウン」と命名したのは比較的最近のことなのです。それまでこの住宅地は「磯野住宅」と呼ばれていました。
この地域には、第二次世界大戦前には陸軍航空士官学校があり、「磯野住宅」には将校のための「日本家屋」がありました。終戦後、士官学校はジョンソン基地※となり、基地の周辺には駐留した軍属・将校のための「ハウス」の住宅地が広がりました。「磯野住宅」にも「ハウス」が建てられました。これを「米軍ハウス」と呼んでいます。ジョンソン基地が日本に全面返還され、一部が自衛隊の基地となり、周辺の「ハウス」は徐々に減っていきました。「磯野住宅」では、「日本家屋」も「米軍ハウス」も壊さずに日本人へ貸す住宅地になりました。
それから20年ほどが経過した頃、建物はすっかり老朽化、まちはスラム化していました。そんななか、現オーナーの磯野達雄が社長に就任。老朽化した「米軍ハウス」を大規模リノベーションしたり、さらに古い「日本家屋」を、「米軍ハウス」の雰囲気に合わせて設計された「平成ハウス」に建て替えるなどして、現在の家並みへと変貌させていきました。
「磯野住宅」の復興が急速に進展した2008年(平成20)頃、まちの名前をリニューアルすることになりました。オーナーは当初、タウンに隣接する富士見公園にちなんで「Parkside House Azuma-choIruma(略称:PHAI)」と命名し、ロゴマークを作りました。
しかし、「米軍ハウス」住人のMさんから、「まちの特徴は『米軍ハウス』なのにPHAI では良くわからない。ジョンソン基地があったから『米軍ハウス』があり、それをベースにしたまちづくりなのだから、『ジョンソン』にちなんだネーミングにすべきではないか? たとえば『 ジョンソンヴィレッジ』とか『ジョンソンタウン』のように。」とのご提案をいただきました。そのころから、住人やお店を利用されるお客様から自然発生的に「ジョンソンタウン」と呼ばれるようになっていきましたが、オーナーとして「ジョンソンタウン」を正式名称にするか否か、PHAI との折り合いの検討に時間がかかっていました。
そんなとき、新しい入居者が「ジョンソンタウン」が入った名前で開業することになったのです。これが後押しとなり、オーナーも2009年(平成21)に正式名称を「ジョンソンタウン」に決定。PHAI のマークはロゴとして添え、商標も取得し、現在に至ります。
このまちを愛してくださる皆さんの力を借りることで「まちの名前を決める」という重大な決断をすることができました。
進駐軍駐留当初は「IRUMAGAWA AIR BASE」と命名されていたが、米軍のパイロットで、当時、市街地や同乗者への被害を抑える為、犠牲的に飛行機事故で殉職された「ジェラルド・R・ジョンソン中佐(殉職した後、大佐となる)」を讃え、「JOHNSON AIR BASE(ジョンソン基地)」と改めて命名された。