HISTORY
ジョンソンタウン前史 <3>
終戦、占領、そして日本国憲法公布

1946年(昭和21)3月9日、米軍撮影のJOHNSON AIRBASE。囲った部分に磯野住宅「日本家屋」の住宅群が確認できます。(国土地理院より)

 1945年8月15日の終戦により、豊岡の陸軍航空士官学校の解散式が8月25日に行なわれ、事実上廃校になりました(残務整理は10月末まで続けられました)。30日には連合国最高司令官(SCAP)ダグラス・マッカーサーが厚木に降り立ち、占領が始まりました。9月2日に東京湾横須賀沖、戦艦ミズーリ艦上で降伏文書の調印式が行なわれ、連合国最高司令部(GHQ)指令第1号が発せられました。

 

 陸軍航空士官学校があった地への米軍の進駐の日と人数については資料により差がありますが、9月中におよそ5,000人の将兵が進駐、基地拡張分を含め、国有地・民有地合せて豊岡地区の約381haが接収され、10月15日に入間川航空基地となり、翌年2月、JOHNSON AIR BASEと命名されました。3月6日には進駐軍家族向け住宅2万戸の建設要求(SCAPIN第799号)が出され、そのうちJOHNSON AIR BASE での建設予定数は238戸と日本側では推計しました。

 

 世界に目を向けると、1945年10月24日に国際連合が成立し翌1946年1月に国際連合第1回総会がロンドンで開かれ、日本では5月3日に極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が開廷されます。そして11月3日、日本国憲法が公布され、翌年5月3日に施行されました。(続く)

 



 

 


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