HISTORY
ジョンソンタウン前史 <12>
昭和から平成へ

平成ハウス1号(写真:渡辺 治)

 大阪万国博覧会が開催された1970年(昭和45)の7月18日、東京で大規模な光化学スモックが発生、翌年7月1日に環境庁が設置されました。この高度経済成長期から数々の公害が発生、その後のごみ問題、地球温暖化への危惧が、1997年(平成9)12月11日の京都議定書採択へとつながりましたが、今や地球規模の環境問題が現実のものとなっています。

 1970年はまた、10月に初の「防衛白書」が発表されました。11月に沖縄で戦後初の国会議員選挙が実施され、翌年6月ワシントンで沖縄返還協定に調印、日米安全保障条約の協議によってジョンソン基地が日本に返還されることになりました。1972年(昭和47)には沖縄の施政権が返還されました。翌1973年(昭和48)1月、ベトナム和平協定が結ばれ、3月に南ベトナムから米軍が全面撤退。6月29日にジョンソン基地返還式が行なわれ、主要部分が返還されました。しかし、10月に第4次中東戦争が勃発、日本では石油ショック対策でパニックが起こりました。

 1975年(昭和50)4月、ベトナム戦争が終結し、1978年9月1日、ジョンソン基地は米軍から全面返還されました。1979年(昭和54)には第二次石油ショック、1980年(昭和55)9月にイラン・イラク戦争が始まりました。1981年(昭和56)6月、「ジョンソン飛行場住宅地区返還国有地の処理の大綱」が決定され、1985年(昭和60)1月12日、入間市産業文化センターが竣工。翌年にはバブル景気に突入しました。

 1987年(昭和62)入間基地の一部が日米地位協定の適用施設・区域として在日米軍に提供されました(横田基地の一部として一時共同使用)。1989年(平成元)1月7日、明仁親王が即位、翌日元号は平成となりました。11月にベルリンの壁が崩壊、1991年(平成3)は湾岸戦争、バブル崩壊、ソ連崩壊と激動の年でした。1992年(平成4)6月、PKO協力法が成立しました。

 1995年(平成7)1月、阪神・淡路大震災が発生。その後、磯野住宅の改修工事が始まり、2004年(平成16)記念すべき「平成ハウス」1号が完成します。2009年(平成21)7月17日、「ジョンソンタウン」に改称。新たな歩みが始まりました。

(完)

 



 


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