HISTORY
ジョンソンタウン前史 <10>
高度経済成長
1956年(昭和31)3月10日撮影航空写真(国土地理院www.gsi.go.jpより) 。オレンジ色の線で囲った部分が「磯野住宅」。

1956年(昭和31)3月10日撮影航空写真(国土地理院www.gsi.go.jpより) 。オレンジ色の線で囲った部分が「磯野住宅」。

 時代は、高度経済成長期に入り産業構造も高度化、重化学工業化はめざましい発展を遂げます。また技術革新によって、インスタント食品、合成繊維、プラスチックなどの新製品が次々に登場し、テレビ、電話が普及し、大量生産・大量消費へと進んでいきました。1959年(昭和34)4月10日、皇太子明仁殿下と正田美智子さんのご成婚が決まり、皇太子が皇族・公家華族以外からお后を迎える初めてのことに「ミッチーブーム」が起こりました。

 ジョンソン基地周辺の動きとしては、1956年(昭和31)3月に狭山市が主導して「財団法人狭山市協会」が設立され、住宅100戸の建設を計画。鵜ノ木地区のアメリカン・ヴィレッジでは計画の半数50戸の鍬入れが30日に行なわれました。一棟の敷地は220㎡、建坪66~88㎡、家賃は100ドルでした。また10月1日には、ジョンソン基地貸家組合が設立されています。豊岡町は金子村、藤沢村など周辺の村々を合併して、埼玉県入間郡武蔵町が9月30日に誕生しました。

 ジョンソン飛行場を米軍と共同使用していた航空自衛隊は、1958年(昭和33)8月1日、中部航空方面隊司令部・中部航空警戒管制群の編成に伴い、入間基地を発足させました。1960年(昭和35)6月24日、米軍はジョンソン基地主力部隊第3爆撃隊の横田基地移動を発表、翌年6月、日米間での共同使用協定を締結、基地の一部返還が始まりました。

(続く)

 



 

 


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