HISTORY
ジョンソンタウン前史 <9>
防衛庁・自衛隊発足

1954年(昭29)、「磯野農園」の一部(現在のジョンソンタウンの場所)に「米軍ハウス」の建設が始められた。これらは1938年(昭和13)に陸軍航空士官学校が独立開校したのにともない、航空士官学校の将校とその家族のための「磯野住宅(日本家屋)」が建てられたその場所に、並立して建てられた。写真は1961年(昭36)の「米軍ハウス」。(写真提供:トム・マクグレイン氏)

 1951年(昭和26)9月8日の日米安全保障条約の調印により、防衛力増強の道へと日本は進むことになりました。翌1952年(昭和27)8月1日に保安庁が発足し、運輸省に属していた海上警備隊は保安庁に組み込まれ、旧陸軍士官学校・海軍兵学校にあたる保安大学校、そして旧陸・海軍大学校にあたるものとして、保安研修所・技術研究所が設置されました。同じ年の10月15日には、GHQのポツダム政令で設置された武装組織、警察予備隊が、保安隊としての改組も行なわれています。1953年(昭和28)10月2日から始められた、池田・ロバートソン会議では日本の防衛の増強と経済援助等、30日に共同の声明が発表されました。アメリカは1951年10月相互安全保障法(MSA)を制定して、日本は1954年(昭和29)3月8日に、日米相互防衛援助協定(MSA)に調印しました。


 1954年6月、警察法の全面改正案の強行採決により、8日、警察法改正が公布、治体警察と国家警察が統合され、首相が所轄する国家公安委員会が警察庁長官以下警視正までの幹部警察官の任命権を掌握し、都道府県の公安委員会は存続しましたが、その権限は縮小されることになりました。翌6月9日、防衛庁設置法・自衛隊法・MSA協定にともなう秘密保護法が公布され、7月1日に、防衛庁・自衛隊が発足しました。新自衛隊は、陸海空の三軍各隊を指揮する幕僚部が置かれ、三軍を統括する統合幕僚会議が新設されました。10月1日、航空自衛隊東部訓練警戒隊が、ジョンソン飛行場を米軍と共同の使用を開始しました。


 この年3月1日、アメリカのビキニ環礁での水爆実験で、日本の第5福竜丸が被災し、11月3日には、“水爆大怪獣映画”「ゴジラ」が公開されています。

(続く)

 



 

 


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